ワクチン接種のあるべき姿とは

7月 4, 2021

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こんにちは、医療者です。

現在、国もオリンピック開催に向け、急速なワクチン接種を展開しています。医療従事者から始まり、今では職域接種たるものまで行っています。

最後の希望。

人類はワクチンを武器に、ウィルスに戦いを挑もうとしている。そして、国民は神に縋る想いで、早く接種したい、そしてこの恐怖から解放されたいと…。
しかし、ここで一旦冷静になって頂きたい。何故ワクチンを接種するのかと。

そんな質問は愚問だと言う声が、目をつぶれば聞こえてきそうだが、まず話を聞いて欲しい。

何故ワクチン接種を進めるのか。

一番の目的は、「重症者数の減少」である。
日本は世界一の有床ベッド数がありながら、指定感染症の位置づけ問題から、重症者対応ベッド数は全体の1.8%、軽症、中等度患者には3.1%しか使われていないことは、以前ブログでも触れてきた。
つまり、世界一としながらも何百人の重症者に対応できないのが現状である。

この現状を打破するために、重症化を防ぐとされているワクチン接種を進めている。

この考え方には、私も賛成だ。だが、問題は重症化する患者は「高齢者」「基礎疾患がある」この2点であり、これは今までのデータを見れば一目瞭然である。
なのに、65歳以上の高齢者接種が終われば、年齢関係なしに職域接種、学生対象に集団接種を行っている。

いつからか重症者数を減らしたいはずが、いつの間にか「感染者」を減らす目的に変わった。
確かに、感染者数を減らせば全体の重症者数減少に繋がることは理解できる。
しかし、本当にワクチン接種をすることで無症状の陽性者が、無症状の陰性者になるかはわかっていない。

若者は重症化しにくく、ほぼ死亡しない。にもかかわらず、現在も試験段階中かつ、長期的な評価が全くできていないワクチンを若者に接種を急ぐ必要はあるのだろうか。
中には接種希望者もいるだろう。希望者だけに個別で接種すればよいだけの話であり、何故集団接種とするのか。

集団接種にすることで、誰が接種をしないかすぐわかる。その状況下で今までの生活を送ることが果たしてできるのか。
国はあくまでも本人の任意としているが、現実はそうもいかず、事実上の強制となっている話もよく聞くし、問題となっている。

「みんな接種してるよ?」「接種しないなんてありえない」「医療従事者なら接種して当たり前」
これは私が言われた言葉であり、日本において同調圧力ほど、怖いものはない。

だが望まない接種は許せれるものではない。個人の意思は尊重されるべきである。

任意

これは認められた権利であり、当たり前のことなのだ。しかし、その当たり前が当たり前でなくなろうとしている。
そしてその当たり前が奪われていることへの感覚がマヒしている。

数は正義でもなく、正解でもない。自分の決めたことに自信を持って欲しい。
人間、選択の時間が無ければないほど、焦りや迷いがでる。
だが、今回逃しても一生接種できないわけではなく、来年、3年後、5年後でも接種できるのだから、もう少し楽に考え方を変えてみてはいかがだろうか。

後悔のない選択を。
周りは関係ない。貴方の決断の繰り返しこそが、人生なのだから。

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